【東北ひとり旅】Day 4 震災の「いま」を見てきた【被災地】

東北ひとり旅、3日目は松島観光と仙台の街歩きでした。

松島観光は残念ながら大雨に見舞われての観光。結局楽しめずに牡蠣だけ食べて仙台に戻りました。

4日目となる今日は3月11日。東日本大震災から9年後の今、改めて震災のことについて学んで、勉強したいな、ということで岩手県の沿岸部に行ってきました。

今回は結構ハードなスケジュールで、始発から行動します。

仙台から東北本線で一ノ関、一ノ関から大船渡線で気仙沼、気仙沼からBRTで大船渡市の盛(さかり)、盛から三陸鉄道で釜石、釜石から釜石線で盛岡へ行きます。

仙台から盛岡まで東北本線を使えば割とすぐですが、ぐるっと海側を通り、盛岡に着くのは9時ごろ。

15時間ほどの非常に長い日程ですが被災地を訪れて震災としっかりと向き合い、考えてみようかと思います。

鉄道とバスを乗り継いで釜石へ

青春18きっぷは基本的には鉄道のみの利用ですが、気仙沼線や大船渡線では東日本大震災での不通区間をバスによる運転に変えています。

なのでその区間は青春18きっぷでもバスを使って移動できます。

鉄道も、ローカル線の大船渡線や釜石線、そして第三セクターとして一躍有名になった三陸鉄道にも乗ってきました。

前日ネットカフェでの宿泊で疲れがあまり取れないまま5時半に起床。でも列車でぐっすり眠れそうです。

本日の一番列車は6時発の一ノ関行き。

1時間半と長時間列車に乗っていることになりますが、ぐっすり寝て起きた時には一ノ関に着くというアナウンスが。

ここで寝たことで少し回復してきました。

一ノ関では次の列車の発車まで1時間半ほどあり、一関市を散策して後半は朝食を食べました。

一関市は歩いている人が少なく、寂しい気持ちになりました。岩手県でも盛岡市に次いで人口が多いところなのですが、思ったよりも外に人がいませんでした。

一ノ関からは1両編成のディーゼルカーで東に進み、気仙沼へ。

途中、列車は一時停止。何が起こったかというと、倒木です。

倒木で運転手が列車から降りて線路の上にあった木のくずをどけている光景を見ました。すごい原始的だなぁって感じました。(笑)

そんなトラブルに見舞われながらも、列車は気仙沼へ。

気仙沼からはBRT、バスで大船渡市の盛までいきます。

気仙沼から早速バスの専用道路を走行します。

専用道路は基本1車線で狭いです。途中で信号があるところは2車線になりバス同士の行き違いができます。

次のバス停に停車後、すぐに一般道路に入ります。

一般道路に入ると普通の路線バスに乗っている感覚です。途中のバス停も路線バスと一緒の作りでした。

しばらくすると、海が見えてきます。

遠くを眺めると島と島に挟まれている感じがしますが、これが三陸特有のリアス海岸です。

ちなみにリアス海岸は津波を強めるとされています。

そこから岩手県・陸前高田市に進みます。

陸前高田市では海抜が低いところでは津波到達地点が表示されていたり、震災を思い出させます。

壊れてしまった学校も見えました。

バスからは非常に高い松の木を見ることができました。これが有名な「奇跡の一本松」です。

バス名にも「奇跡の一本松」があり、道の駅高田松原となっています。

すぐ陸前高田の中心部へ。もともと陸前高田駅という大きな駅でしたが、現在はバス停がロータリーにあるのみです。

その後も沿岸をゆっくりと走り、再びバス専用道路を走ります。

12時を少し過ぎて終点となる盛に到着。

盛駅周辺は大船渡市の中心で、ショッピングモールやお店が散見されます。

しかし、ここで衝撃的なハプニングが…。

なんと、私のパソコンや服などが入ったカバンがないことに気づきました…。

バスにもないので、おそらくはその前に乗った大船渡線の列車の中に置き忘れたのかと。

結局その旨を駅員さんに伝えたところ、私のカバンは無事列車の中にあり、一ノ関駅に届けられたそうです。あー、よかった!

結局、青森にある私の実家に届けてもらう(後払い)ということにしてもらいました。本当に駅員さんやJRにはお世話になります。

ということで気分を落ち着けてから(まだ落ち着いてないけど)、ランチです。

THE BURGER HEARTSで岩手県の美味しいものでできたハンバーガーを食べた!

ランチはハンバーガーです。

THE BURGER HEARTSは、大船渡市のホームページにも紹介されているご当地のハンバーガー店です。

「地産地消バーガー」と言われているらしくパティは全て岩手県産の素材ソースなども全て自家製というから、驚きを隠せません。

グルメバーガーということでボリュームが多いですが、ここのハンバーガーは結構安めです。

一番安いのでは400円台から。500〜600円台のものもかなり多いです。

私はRバーガーを注文。トマトやチーズが入っているので、十分なボリュームでした。

パティも弾力があり、肉肉しい味。

正統派といえば正統派なハンバーガーですが、より旨味が感じられるような気がします。

店内もカフェというかアメリカンテイストで、もっとゆっくりしていたかったんですけど、次の列車の発車時間が迫ってきたのでお店を出ることにします。

また行けたらいいな。ごちそうさまでした!

三陸鉄道に乗車

続いて乗るのは三陸鉄道。

三陸鉄道は日本初の第三セクター鉄道にして、宮古〜釜石間が開業すれば盛〜久慈間が国内最長の第三セクター鉄道になります。

第三セクター鉄道とは、国と民営会社が共同で出資している鉄道会社のことで、元々JRの区間が新たに第三セクターとして営業することがあります。

今回は盛〜釜石の区間を乗車することにしました。

沿線は三陸のリアス海岸を北上していきます。

美しい海岸が見えたり、小高い山々が見えたり、トンネルの中を抜けたりと車窓が大きく変化します。

1時間弱で終点の釜石に着きます。

釜石から先は残念ながら鉄道は走っておらず、代行バスが宮古まで通っています。

宮古から久慈までは三陸鉄道が通っているので、いつか盛から久慈まで三陸鉄道全線乗り通す旅もしてみたいです。

釜石にて黙祷

釜石にやってきました。釜石から盛岡へ行くには、その後すぐに出る快速はまゆりに乗れば夕方には着きます。

しかし、今日は東日本大震災からちょうど9年。

「あの時間」に黙祷したかったのです。

14時46分。午後2時46分。

釜石駅から歩いて10分弱、イオンモール釜石があるのでそこで黙祷をしようといきました。

時間までイオンモール内のスーパーを見たり、少しぶらぶらしていました。

そして14時46分。ちょうど9年目の「いま」、地震が起きました。

釜石市民も黙祷しているかなと思いましたが、その時間になってもみなさん黙祷しておらず。私は影に隠れてこっそり黙祷していました。

地元民は逆に過去を思い出したくないのかな、とも思いました。確かに過去の嫌な記憶を思い出すのは私も嫌なものです。

モール内の雰囲気も、暗いわけではなく、至って普通に感じました。いつもと変わらない日常がそこにはありました。

その後は釜石市を散策。釜石はラグビーの街。早速駅にはラグビーボールのモニュメントが飾られていました。

釜石は製鉄所がある工業地域で、工場から出る煙がもくもくと上がっていました。

本来は鵜住居(うのすまい)にあるラグビー場にも行こうとしましたが、バスの時間に遅れて断念しました。

ラグビー場も次回来たときのリベンジとします。

その後夕方に出る釜石線の電車で盛岡へ着きました。

盛岡ではじゃじゃ麺を食べて本日の宿、ネットカフェに泊まりました。今日もすごい疲れました。

けどこれくらい疲れる旅も全然嫌じゃありませんね。20歳にとっての私の旅は過酷なくらいが一番いいと思います。

自分に適した旅をするのが一番だな、とつくづく感じました。

まとめ

4日目は仙台から出て岩手県の三陸を通って盛岡へ行く旅でした。ずっと列車に乗っているだけで大変でしたが、盛で食べたハンバーガーは美味しかったし、釜石で黙祷をできたこと、散策も楽しかったです。

残念ながら震災については深く勉強することができませんでしたが、被災地のリアルを生の目で見ることができてよかったです。

思ったよりも復興は先へ進んでいて、釜石市民も明るいなと感じた1日でした。

5日目は、私の地元、青森へ行く日にちを予定していましたが盛岡にとどまるということにしました。

盛岡の街をちゃんと観光したことがなかったので、盛岡観光に1日を費やしたいなと思いました。

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